

(※つくばエクスプレス開通以前、常磐線経由でつくばに向かう人を歌った歌詞です。) * * * 上野発の普通列車 降りた時から * * * 元ネタ:津軽海峡・冬景色 / 石川さゆり
土浦駅は 風の中
西へ向かう人の群れは 誰も無口で
風鳴りだけを 聞いている
私もひとり 関鉄バスに乗り
こごえそうな自転車(※筑波大生の生活必需品)を見つめ 泣いていました
ああ 筑波大学・冬景色
ごらんあれが一ノ矢宿舎 北のはずれ(※南北5キロに渡る大学敷地の北端に位置)と
見知らぬ人が 指をさす
息で曇る窓のガラス 拭いてみたけど
遙かに「カスミ」(※つくば市に本社を置くスーパーマーケットチェーン) 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
筑波おろし(※筑波山から吹く冬の風)胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 筑波大学・冬景色
さよならあなた 私は帰ります
15単位取れなかった(※年間15単位取得できなければ除籍) 悔しさを胸に
ああ 筑波大学・冬景色
(詩:阿久悠)
種をまく人
といっても、ミレーの絵画でもポール・フライシュマンの物語でもなく。お仕事の話。僕が教師になってから4年が過ぎたが、今日はそんな短い教師人生最良の日だった。
それは6年生の算数の授業でのこと。授業が早めに終わったので、ちょっと児童とおしゃべりでもしようと思いたった。プライベートでは、自分語りが大好きな僕だが、仕事では同僚の目も気になるため、児童に自分語りは一切してこなかった。でもふと、今日はなぜか自分のことを語ってみる気になった。自分が小学生の頃、宇宙に興味があったこと。天文学者になりたかったけど数学に挫折してなれなかったこと。今でも宇宙が大好きで宇宙論の本を読んだりしていること…。そんなことを話していたら、子どもたちが「僕も宇宙に興味あります!」「先生、算数の先生なのに数学が苦手だったなんて意外!」だなんて話になって、子どものリクエストで宇宙論についてのミニレクチャーをすることになった。題して「5分でわかる相対性理論」。なんかすごそうなんだけど、別に全然すごくなくて、「物質は空間を歪め、その歪みが重力を生み出す。ブラックホールは大きさは限りなく小さいのに、質量が限りなく大きいがゆえに、時空がすさまじく歪む。そのため重力も半端ない」という科学雑誌にのってるような物理学の常識を、絵を描いて説明した。そのときの子どもたちの顔といったら! あの子たちのあんなに楽しそうな顔、僕は今まで見たことがなかった。僕と子どもたちが一体となった至福の時間。冗談抜きで心がふるえてしまった。そして、ミニレクチャーが終わった後には、盛大な拍手を子どもたちがしてくれてめちゃくちゃ感動してしまった。
授業の後、子どもたちがやってきて「僕らはこんな話をずっとしたかった。」「こういう話をもっと先生としたい。」と言ってくれた。中には【事象の地平線】【虚時間】【膜宇宙論】【シュレーディンガーの猫】といった、理論物理学の専門用語を知っていて、その説明までしてくれた男の子もいて、彼らの知的好奇心、知性の高さに心底驚かされた。小6でこの知的レベルはほんとうに驚異的。子どもの知への渇望を目の当たりにし、それを自分がすこしでも満たせたことが、本当にうれしく、教師冥利につきるとはこのことだと思った。ただ、算数の授業中にこういう話をすると、問題になってしまうので、僕の教室を昼休みに彼らのサロンとして機能させることに決めた。彼らは知性を本気で欲している。そんな彼らの想いに応えられるような教師でありたいと思った。ということで、月曜日の昼休みには、子どもたちとリサ・ランドール博士が提唱している「膜宇宙論」について話し合うことになった。
教育とは文化の継承だ。文化(culture)という言葉が「耕す(cultivate)」という動詞から由来していることから、教育は種まきとたとえられるが、それは的確な比喩であると思う。文化とはおそらく、その人間の振る舞いを生み出す、一人ひとり異なる「何か」なのだ。教育とは、自分の中にある、その「何か」を児童につたえる営みだ。だから、自分にしか伝えられないこと、自分にしかできない教育がある。ゆえに教育における正解は一つではなく、教える人間の数だけ存在する。しかし、学校における教師と児童の関係に目を向けると、最短で一年のスパンで担任が替わるだけに、その教師のかわりはいくらでもいるという味気ない現実が横たわっている。学校における児童と教師の関係は、一人の師とのマンツーマンな関係が永続的に続く徒弟制度とは対照的なものだ。こんなことを書いてしまうと、元も子もない感じがするが実際のところそうなのだから仕方がない。そんな固有性(僕にしか伝えられないことがあること)と代替性(僕のかわりはいくらでもいること)という、相反する性質を孕んでいるがゆえに、教育という営みは僕にとって、かくも困難ではあるが魅力的なものなのだ。教師という仕事はなんて一筋縄ではいかないのだろう!
僕は子どもたちという肥沃な大地に種をまく営みをしている。僕がまいた種は、どんな色の花をさかせるのだろうか。どういう形の実を結ぶのだろうか。もしかすると、花がさいたとしても枯れてしまうかもしれないし、花自体さかないかもしれない。でも、それでもいい。黙々と種をまく人でありたい。
[mixi] 徳利さん | 種をまく人 (via kml) (via takaakik) (via cokeraita) (via uessai-text)